あけましておめでとう

今年も生きてるし多分健康です

部屋にはイースタンユースがかかっていて

今日の僕は、ロックを聴きたいのかもしれない

正月は、また、カレーを作った

スパイスから作るのだけど、これが難しい

にんにくとしょうがを炒めて、それからたまねぎを入れる

この辺りは、最高な気分で

そっからトマト缶を入れてスパイスを入れていくんだけど

この辺りからなんだかわからなくなってくる

思えば、絵でもよく僕はこうなるんだった

しかし、最後はなんとかそこそこおいしくできた

豚バラカレーの豚バラはトロトロになったし

味もそこそこ

もっとガーンとくるのをその内作れる様になる気がする

 

年明けから仕事が忙しくて、なにも手に付いていない

仕事中に音楽を聴いたりラジオを聞けるのが救いで

ピーターバカランのラジオにはまっていたり

ヒロトが出ているラジオの音源を聞いたり

ヒロトが話しているのを聞くとなんだか安心するそれはロックだからで

安心する、言葉にがっかりしたりするアーティストも居るけど

ヒロトに裏切られた事はない

ただただロックで、素直で、普通で、心地がよい

裏切られたなんて言うと期待している見たいだけど、ロックなんてのはそれではなく

人に期待しないのもロックだと思う

勝手に感じて勝手に受け取るので良いんだ

ラッキーヘブン のアルバムも最高だったし

ラッキーでヘブンなんてクロマニヨンズらしい

ジョーは、月に手をのばせ と言ったけど、ヒロトは、飛び越えるんだ

話が少し違うけど、なんで、月はあんなに良いんだろうか

あんなに素晴らしい芸術はない気もする

漱石は、ILOVEYOU を 月が綺麗ですね と訳した見たいだけど

僕もそんな気分だよ

わからない人にはゴミであるし、わかる人には宝物だったりするのである

 

いろんなロックがある、イースタンユースみたいなロックはヒロトにはできないし

僕の中のパンクの真ん中はイースタンユースかもしれない

ソンゲントジユウを聞くと泣きそうになるし

PVがもう最高だし

ロックロック言ってる

ロックだからってアートだからって何でも許されると思うなよ 見たいな事をよく言うけど、僕は許すよ

許せない事があっても仕方ない

あなたも僕もロックなのだから、そういうものだ

 

今年はレコードプレイヤーを買うんだった

そしたら、家に帰ってレコードを聴こうって言う

 

 

 

 

自転車で引かれて、僕は、無事で打撲ですんだのだけど

長年のっていた自転車が廃車になってしまった

壊れては、自分で治してたし、自分で治そうとして失敗して自転車屋さんに

壊れたそれを持っていった事もあった

買ってからもう五六年になってたし、治す度にそれの事がわかる様になって

今ではもう治せない所はなかったんだった

それが突然の別れです

救急車で運ばれて、スマホも壊れてしまって連絡がつかない連絡できない状況で

通勤時でもあったので、会社にはなんとか連絡できたのだけど

僕が運ばれたのを知った先輩が病院を探して駆けつけようとしていたと翌日、ほかの人から聞いて泣きそうになった

時に、僕はその先輩に叱られた事もあって、適当に誤ってすませるみたいなごまかしが通じない人で、言葉がすごく重たい

今思い出すのが 人の気持ちを考えろ 的な事を言われたことがあって

ぐうの根もでなかった

そんな言葉は知っているし 良くある言葉かもしれないけど

時に僕はそれを忘れてしまう

そんな事を言ってくれる人はあまりいないだろうし

大人になると、各自で自立していて粛々と言う感じで、僕もあまり人には期待をしなくなっていた

自分がそうだと他人にもそれを求めてしまったりして

幼馴染や友達は少し違って家族に近いのかもしれないけど

大人になってからそういう人が身近に居たりするのは貴重で、僕はいままで何かを間違えていたのかもしれないと思った

ちょっと考える

 

次の自転車は、同じ車種だとおもいだしてしまうので

別のメーカーのクロモリのロードを探す事にした

T字路s

昔、直感なんてものは薄っぺらい、僕にはそれじゃ足りないよ なんて、事を言ったりしていた事もありましたが

今になって、そんな抽象的なものをどこかで信じる様になって、人を見る時に、音を聞く時に、絵を見る時に、どこか言葉とは別のものをそれの外を見ようとしているのかもしれません。

抽象的な事を突き詰めれば、具体的なモノが見えてくるよ、見えないのは突き詰めていないから なんて言葉は、まさにそれで、それが正しいと思っている

 

昨日は、T字路sを見てきたんです。

シャングリラ梅田は、ソールドアウトでもないのに、超満員で、渋いおじさまが多く、女子も若者も少なめな様。

僕は、開演まで、持って言った小説を読んでいて、そいや、竹原さんも京都の小さなライブハウスの時に、こんな風に、箱の端っこで読んでたな とか、今日の僕は竹原さん見たいじゃないか とか

 

ステージ上の、妙子さんは、小柄で可愛らしかった、でも、歌い始めると彼女は大きくて、叫ぶ声は、大きく会場を包む様、どこか暖かかった

見る前は、もっと鋭く撒き散らす様に歌うのかとも思っていた、でも、違う火なら、その火は青かった

ピカソの絵もその火は青い、条件を整えて、完全燃焼させないと火は青くならない

T字路sのそれは、どこか整って見え、完成されたものだった

このたとえは、なんだかおかしい気もするが、そして、赤い火が嫌いなわけではなく、必死に燃えているそれを僕は愛おしく思う

ピカソの晩年の絵画は、それに気がついて意図的に赤く燃やしてみたのでしょうか

 

T字路sを知ったのは、甲本氏の出ていたラジオからで

流れた、これさえあれば に、やられた

これさえあればの歌詞

太陽のようで月のような

風のようで雨のようで

大地のようで空のような

 

素晴らしいものは、僕の好きなものは、どれもそれで

すべて同じ、絵も人も音も映像も写真も

前に、中国の皇帝が、造形家に、空に近いものと作れと言った歴史を

耳にしたが、なんて素敵な事を言う

空を思うような造形、陶器、夢のようじゃないか

 

言葉よりもより遠いものが良いと思っていて

岡本太郎の なんだこれは!! というのは、同じ意味だったのかも知れない

言葉にできないなんて最高ね

 

僕は、昔、村上隆の信者のような時期もあって

説明可能なものこそが価値だなんて、コンテクストは?コンセプトは?なんて

一応、六本木での展示も見に行きて

かかわっている人の数に技術に圧倒され、思わず膝を突いた

それは素晴らしかった 

だが、その作品たちに、空も 月も 風も 雨も 闇も 光も 感じなかった

技術なんてものは、流行廃りであって、いずれ、それは当たり前になりそれはゴミとなるでしょう  

言い切ってしまった。。。

しかし、心は変わらないのです、永遠に生きるのは心なのかもしれません

ラスコの壁画に心が動くのは、心は変わらないからなのでしょう

 

妙子さんがライブ中に、ラブソングは作れない、小っ恥ずかしいからと言ってやったブルーハーツの夕暮れのカバーが今日一だった

演奏中、一緒に歌う人揺れている人、ライブは良いね

僕も、あまりラブソングが苦手で、綺麗な曲だと特に、耳を塞ぎたくなる

別れのラブソングが綺麗だと、もうだめで、さよならとか無理 って思ってしまう

わがままね

だから、なんとなく妙子さんの言う事が分かるような気がして、美化できないし、惚気るのも小っ恥ずかしい

夕暮れが好きなんです

それよりももっと赤い血が流れてるんだぜ

ってね

 

アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国 ファンタスティック・ エキセントリック アール・ブリュットの「王」が描いた夢物語」展

ヴェルフリ展を観に行ってきたので、感想。 

f:id:f3u3k3u:20170114195908j:plain

彼の描いた絵画たちは、音がそれに、波打つ様、彼の世界を歪めている

正直見る前は、自分は何を感じるんだろうか

少し不安を感じて居て、彼の世界を感じる事ができないんじゃないかなどと思っていた

実際に見た、それは、感動と言うより、どこか共感を覚えた

ヴェルフリの妄想は、夢の様で、彼は王国を築きそこで王にまでなった、自ら王国を讃えるポルカや行進曲を作り、自らそれをラッパで吹いて回り、王国を讃えた

自分も妄想して観る、だが、その世界に入っては辞め、現実と向き合おうとする

ヴェルフリは、夢の世界に生きて見せたのか

羨ましくもある

作品たちは、ヴェルフリの夢が溢れていた、いくらでも描く事があって

必死にそれを書き留める姿が浮かぶ

波立つ様に画面を歪める線と音符に色彩、人の顔が描かれており、それがこちらを見ている

歪んだ画面に、それが顔を出し、その顔を目で追うとファンクミュージックの様?繰り返されるリフが心地良い様な

表現が難しいが。。。。

トリップする感覚に近いような。。。

絵が溢れていた

何枚か、岡本太郎の明日への神話を思う様、絵が炸裂していた

前期の作品たちの方が好きだった

中期、晩年の作品たちは、コラージュだったり、詩だったり、ドローイングも前期の方が良かった

絵に描いてある詩だったり、文字を読めたら見え方も変わるのだろう

ヴェルフリに関しては、うんちくの様な知識を僕は、持っていないだから、間違ってるかも知らんし、言われて見たら、感じ方は変わるかもしれない

それで、OKだとも思う、なので勝手な感想である

ざっくり知っている事は、ヴェルフリが犯罪者の子供で、自身も犯罪を犯している

幼女をレイプ、それも三回も、それで精神病院に入れられている

ヘンリーダーガーも幼女を殺したんじゃないかとも言われている、真実は不明だが、

アールブリュットのアーティストは、自由に見え、その世界に魅せられるが

犯罪者の場合はどうなのだろうか?

死後だからOKなのか?、歴史に残る殺人事件を犯し、作品を作り、死ぬまで必死に描き続ければ、死後評価?

何年か前に、本を出し、ネットで作品を公開していたあいつも、死ぬまで信念?を曲げずに作り続ければ死後評価される?

200年後くらいには、釈明が認められ、キュレータやら評論家が、物語を作って、○○○○展なんてものが?

それが投資の対象になる姿は、なんとも滑稽である

想うが行き場がない

ネットで公開されたものを見た時、嫌悪を覚えた

ぐだぐだな絵たち

共感できる部分もあるのだろうが、技術もなく、メンヘラ展なんかに出ている、アングラアーティストの方がよっぽど増しな作品を出してる

ヴェルフリの様に描き続けるなら、それなりの物に到達し

犯した犯罪すらブランドになるのか

実際は分からないがそんな事を思った

 

作品の感動がどこかに行ってしまいそう

だが、そこは、切り離しては行けない気がした

好きと言い憎い、それは、残念ね

もしヴェルフリに会って友達にでも慣れたら、彼を知り、素直に言えるのかもしれない

精神病院の人たちは、ラッパを吹き、絵を描くヴェルフリをどう見ていたのだろう

可愛くて仕方なかったのかな

どうなのか

 

 

 

 

 

 

 

変な時間に起きてしまって

去年買った、永い言い訳をやっとさっき読み終えました

感想をと思い、取り溢さない様にと慎重になって

あれもこれもと頭の中でぐるぐると言葉を探していたら

それはいっぱいになって、溢れてしまう

またにした方が良い

 

なんとなく料理がしたくなり、料理をすると頭がスッとするので

読書と似ている気もして

正月は、カレーを作った

スパイスを買ってきて、やって見たけど、今振り返れば、迷いのある妙な味でね

連れに食べさせておいしい?って聞いたら

おいしいって言ったけど、言わせてるのかなとも思い

あの味は僕に似ている

作る人間が変わればきっと料理も変わるのでしょう

 あのお店の料理は、透明に透き通って

ターナー似?

 

アドルフ ヴェルフリが兵庫県立美術館に来る様で

アール・ブリュットの定義は、秘密、孤独、沈黙なんだって

だから、作品を発表したり評価をうけてしまうと、もうすでにそれはアール・ブリュットではなくなっちゃうんだ って

それを展示されるなんて、定義が、破綻している

見たいけど 見に行く

 

 

 

 

 

 

 

2017

 

今年のコンセプトは Reach For The Moon !!

月に手を伸ばせ !!

 

f:id:f3u3k3u:20170108000614j:plain

 

言葉にするのは野暮な気がする今日この頃

理屈を捏ねる前にやれ と思うのです

それは正しい ブログの意味など考えてしまいますが

それも とりあえず やれ で、自己満足 で、メモみたいなもの

今年も、たまには書いて見る

今知ってる事やわかる事じゃなくて、知らない事を知りたい

甲本ヒロトの言ってる事が解る日が来るとは思わなかったし

絵の心を合ってるかは知らんが感じられるようになるとも思わなかった

 

やりたいことに、時間がないとか疲れたとか理由を付けるとつまらない大人になってしまうね

 

 やれ

NHKドキュメンタリー - 足元の小宇宙 絵本作家と見つける生命のドラマ 感想

偶然見たNHKドキュメンタリーがあまり良いので感想

 

絵本作家、甲斐信枝 さんのドキュメンタリーで、NHKは良い仕事をするなぁ、関心する

スケッチブックを持って、野道を歩いて被写体を探すシーンで、ほら!!やってるわ!!とか言い出して、野花を指差して、ここ!!こういうの観ると私ワクワクするの とか 僕がライブハウスにいく、美術館で絵を見るのと同じ
その野花は、ぱっと開いて、光を集めてる様に僕には観えた

枯れ草をどかして、こいつらはこういう事をするんだよ! とか言って

枯れ草の下には、小さな芽がたくさんあった、それを見て喜んでいた笑

見ている内に、どんどんと彼女の世界に引き込まれていく

野花や雑草たちをあいつ こいつ このヒト などと呼び、野花たちの性格を嬉しそうに話す、のげしを語るシーンで、のげしは、たんぽぽと違って、捻くれてるっていう話は、分からないんだけど、わかる様な気がした、のげしが好きになったよ

甲斐さんがヒトのように植物を扱う姿は、植物たちがヒトなのではなくて、甲斐さんが植物?なんじゃないか

彼女は、野花に似ている

絵を描く姿、植物たちに魅せられた彼女の姿は、真っ直ぐ何て言う表現は、どこか、物足りないが、それで、ただ生きてる、植物たちと同じだった

彼女は、自分の言葉で話している、見て来たものをそのまま、その姿に偽りがない

ついつい、人の言葉を引用して話す、僕の様な人間にはなんだか眩しく、その言葉の重みや誠実さに考えさせれる

最後の彼岸花を描くシーンは、入念に選び、一本を見つけ描くんだけど

絵が描けて、選んだ被写体を拝み、謝りだす、目の前に、こんな美しいものがあるのに、それを描けない って、僕も、いつもそう思う

完成した絵を見て、僕は、言葉が伝わらないのと同じで、彼岸花の心は、彼岸花にならないとかけないんだろうな って思った、それを理解しきれなかったんだと思う、それは彼岸花の心、分からないのは当たり前で、でも、その美しさに、魅せられて、それに近ずきたい、分かりたいと思う姿は、美しく、謝る姿が愛おしくなった

作中、キャベツの水滴に光が映って光る様、彼女がキャンバスに、彼岸花を写す、彼岸花と彼女の間にある絵は、光る水滴の様だった

甲斐さんが、「こういう連中は、どこまで行ってもおいでおいでする、永久に追いかけるんだ」と言っていて、それは凄く幸せなことね

NHKの映像の撮り方にすごく愛を感じる、どんなヒトが撮ってるんだろ

キャベツの水滴が光るシーン、あれを見せてくれた事にありがとうと言いたい笑

甲斐さんは、結構ぶっ飛んでるヒトだと思う

それをこんなにポップに見せる、甲斐さんの人柄もあるんだろうけど

被写体を見つけて、新聞紙を引き、ごろんと座る姿はなんとも愛らしい

ロックな、絵本作家になりたいんだ って言ったあの子はこれを見たんだろうか

スズキコージ氏然り、パンクな絵本作家がいっぱいいるんだろうな

草のくらし―あき地の五年間 をとりあえず買う