T字路s

昔、直感なんてものは薄っぺらい、僕にはそれじゃ足りないよ なんて、事を言ったりしていた事もありましたが

今になって、そんな抽象的なものをどこかで信じる様になって、人を見る時に、音を聞く時に、絵を見る時に、どこか言葉とは別のものをそれの外を見ようとしているのかもしれません。

抽象的な事を突き詰めれば、具体的なモノが見えてくるよ、見えないのは突き詰めていないから なんて言葉は、まさにそれで、それが正しいと思っている

 

昨日は、T字路sを見てきたんです。

シャングリラ梅田は、ソールドアウトでもないのに、超満員で、渋いおじさまが多く、女子も若者も少なめな様。

僕は、開演まで、持って言った小説を読んでいて、そいや、竹原さんも京都の小さなライブハウスの時に、こんな風に、箱の端っこで読んでたな とか、今日の僕は竹原さん見たいじゃないか とか

 

ステージ上の、妙子さんは、小柄で可愛らしかった、でも、歌い始めると彼女は大きくて、叫ぶ声は、大きく会場を包む様、どこか暖かかった

見る前は、もっと鋭く撒き散らす様に歌うのかとも思っていた、でも、違う火なら、その火は青かった

ピカソの絵もその火は青い、条件を整えて、完全燃焼させないと火は青くならない

T字路sのそれは、どこか整って見え、完成されたものだった

このたとえは、なんだかおかしい気もするが、そして、赤い火が嫌いなわけではなく、必死に燃えているそれを僕は愛おしく思う

ピカソの晩年の絵画は、それに気がついて意図的に赤く燃やしてみたのでしょうか

 

T字路sを知ったのは、甲本氏の出ていたラジオからで

流れた、これさえあれば に、やられた

これさえあればの歌詞

太陽のようで月のような

風のようで雨のようで

大地のようで空のような

 

素晴らしいものは、僕の好きなものは、どれもそれで

すべて同じ、絵も人も音も映像も写真も

前に、中国の皇帝が、造形家に、空に近いものと作れと言った歴史を

耳にしたが、なんて素敵な事を言う

空を思うような造形、陶器、夢のようじゃないか

 

言葉よりもより遠いものが良いと思っていて

岡本太郎の なんだこれは!! というのは、同じ意味だったのかも知れない

言葉にできないなんて最高ね

 

僕は、昔、村上隆の信者のような時期もあって

説明可能なものこそが価値だなんて、コンテクストは?コンセプトは?なんて

一応、六本木での展示も見に行きて

かかわっている人の数に技術に圧倒され、思わず膝を突いた

それは素晴らしかった 

だが、その作品たちに、空も 月も 風も 雨も 闇も 光も 感じなかった

技術なんてものは、流行廃りであって、いずれ、それは当たり前になりそれはゴミとなるでしょう  

言い切ってしまった。。。

しかし、心は変わらないのです、永遠に生きるのは心なのかもしれません

ラスコの壁画に心が動くのは、心は変わらないからなのでしょう

 

妙子さんがライブ中に、ラブソングは作れない、小っ恥ずかしいからと言ってやったブルーハーツの夕暮れのカバーが今日一だった

演奏中、一緒に歌う人揺れている人、ライブは良いね

僕も、あまりラブソングが苦手で、綺麗な曲だと特に、耳を塞ぎたくなる

別れのラブソングが綺麗だと、もうだめで、さよならとか無理 って思ってしまう

わがままね

だから、なんとなく妙子さんの言う事が分かるような気がして、美化できないし、惚気るのも小っ恥ずかしい

夕暮れが好きなんです

それよりももっと赤い血が流れてるんだぜ

ってね